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25年後の春に

4月3日、平井さんと一緒に西麻布の長谷寺(ちょうこくじ)にある盛田さんのお墓にお参りに行きました。

ソニーのファウンダーのお二人のうち、井深さんとは残念ながら直接お話する機会はありませんでしたが、盛田さんとは二度接点がありました。入社して最初の配属先の証券業務課で、ニューヨーク証券取引所の諮問委員会(Listed Company Advisory Committee)委員だった盛田さんのサポートをしていた際に「ああ、君が吉田君か」と声をかけてもらったのが最初です。そして、二回目は1993年9月、赴任先のニューヨークです。

写真はその時、ゴルフ場での懇親会で撮っていただいた唯一のツーショット写真です。

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私はこの時の盛田さんのスピーチが強く印象に残っています。それは「ソニーはこれまで多くのことを米国から学んできた。米国を追い越したと思っている日本企業もあるかもしれない。しかしソニーは今もう一度謙虚に米国から学ぶべきだ」というものでした。その際は正直あまりスピーチの意図が理解できませんでしたが、盛田さんの強い危機感だけは感じました。

また盛田さんはその年11月19日の部長会同で以下のような話もされています。「わが社はテープレコーダーでもトランジスタでも非常に大きなイノベーションをしてきたが、考えてみるとそのシーズ(種)は米国から拾ってきたものだった」「今や、"日本の産業人は世界一だ"という錯覚に陥っており、その錯覚を反省する必要があるのではないか」というものでした。そして盛田さんは1993年11月30日に脳溢血で倒れられ、その後1999年に亡くなるまで経営の一線に立たれることはありませんでした。

1993年の盛田さんの危機感は何だったのでしょうか?盛田さんが予見されていたかどうかは分かりませんが、今振り返るとインターネットだったように感じます。ブラウザのNetscapeが登場し、Amazonが創業されたのは、盛田さんのスピーチの翌年、1994年でした。

以前社内のスピーチで私は、『ソニーはトランジスタの受信機、受像機で始まり、パッケージメディア時代に、顧客にタイムシフト、つまり、録画した番組をいつでも再生して楽しめるという価値の提供で覇権を握り、そしてネットワーク(インターネット)で苦しくなった会社であると認識している』という話をしたことがあります。

その後、ソニーは1997年に過去最高益を記録し、インターネットがソニーの経営に深刻な影響を及ぼし始めるのは21世紀に入ってからです。

盛田さんに最後にお会いしてから25年。墓前で社長 兼 CEOを拝命したことをご報告しながら、ソニーという器を長期視点でつないでいくことの重みを改めて感じました。

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